徒然
病院行って、調べものして、読書して、映画観た。
「カササギ殺人事件」は面白い。さすがミステリランキング四冠。今下巻の途中だけど続きが気になる。
- 作者: アンソニー・ホロヴィッツ
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 2018/09/28
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2019年映画初めは新作ではなくて公開時見逃していた「バンコクナイツ」。182分。意外とあっという間だった。
ようやく本読んで映画観るとこまで到達したけど、それでもまだ不安感は取れない。これはもうどうにもならない。
平和な日常を送れている筈なのに常に不安の種を拾ってしまうの、良くないと分かっていても止められない。最早自分でコントロールするとかいうことでもないのだな、と思う。
あと、常に完璧であらねばという意識が取れないのが課題。昔からそうだった。失敗をうまく許容できないというか。
考えれば考えるほど偏ってるなと思う。そういう人間だから仕方ないとは思いつつ、もうちょっと楽に生きたいというのが本音。
若気の至り
はてなダイアリーの移行をせなあかんということで記事をこのブログにインポートしてきたが、20代の頃の自分の文章、読まれたいという意識が高すぎてこっぱずかしい。そのまま埋もれさせといてもよかったなあという気もしてきたがインポートしちゃったからしょうがない。
ですます調で、本の感想を載せたり、勉強会に行ってたり、リア充だな20代後半のおれ、と遠い目で見てしまう。
はてなダイアリーは2009年から書いているみたいだから既に10年経っている訳で、私も変わったんだなと思う。普段毎日生きていると「あー私変わったなー」とは思わないけれど、昔の文章を読むと年齢を重ねて着実に変化が起きていることがわかり、それはそれで面白い。恥ずかしいが。
ブログというのは試行錯誤の痕跡だなと思う。特に私の場合コンセプトが見つからなくて迷走している。
毎日迷走。瞑想したほうがよさそうなものだが。
弾く
昨日はオーケストラ練習初め。この1週間精神的にダメ過ぎて楽器にまでまったく手が回らず、撃沈であった。
正直言って技術は楽器を長年やっている割に足りない感じが強いので、オーケストラだったらいかにそこに馴染むかということは結構考えて弾いている。しかしそこまで考えられるにはどう考えてもそれなりに楽譜を読み込んでいくことが必要で、その山を登る前のトレーニングみたいな練習が全然足りていない。
くよくよ不安の種ばかり集めてストレスを溜め込んでいる場合ではないのだが。
今日は室内楽の練習。これは数をこなしている筈なのだが、いまだに楽譜を必死に読んでいる自分を感じる。なんというか「弾く」を超えたところにいきたいのに足踏みである。
どこもかしこも足踏みばかりではないか。
昔よく感じたのは「私は楽器を弾いていていいのだろうか」ということだった。楽器を弾くに足る程の努力もせず、周りは皆すごく弾けて、自分は駄目、でも努力するのはしんどいというか方法がわかっていない。
今もあんまり変わっていないなとは思う。思えば心のどこかで「誰よりも弾けてないのでは」という不安を抱えている。誰とか比べるのがまず間違っている気がするが、ふと比較してしまう。
趣味でも不安の種を作る奴、面倒だなと書きながら思った。
でも楽器を弾くのは多分やめない。楽器は私にとっては大切なものだ。この数年でようやく楽器と向き合い始めた気がする。始めて20年以上にして。
まだ不安感は治らない。
楽器についてこんなに書いていてもどこか上の空だ。
でもまあそういう記録ということにしておく。
執拗な文章(読まれない)
毎日ブログを書いていると分かるが、ブログって読まれないもんだなあと思う。ブロガーとして生きていくなんて無理ゲーだ。目指してないけど。
大体毎日人の役に立ちそうな含蓄のある言葉を吐くなんて私には無理だ。ホッテントリに入ってるブログとか読むとすごいよなあと思う。よくあんなに書けるなあ。
私が何故最近ブログを書いているかといえば、専ら自己の感情の記録の為だ。まあ別に自分しか見られない日記に書いても構わないのだが、殆ど読まれないという認識もあるし、「読まれたとしてもいい」文章が書けた方が後々役立つと思って書いている。
元々私の文章は冗長で執拗なところがある。メールが顕著で、気になったことを全部潰しておきたいのでやけに長い文章になる。あと気を遣いすぎて冗長な丁寧語が入る。読む方面倒だろうなあと思うし、実際全部書いても返信で全部の疑問が解決することは0に近いのだが、それでも書いてしまう。怖いものだ。
考えてみると、これも強迫的な性格の一種なのかもなと思う。執拗で拘りが強い。几帳面な風でいて片付けは全然ダメ。
コンパクトにまとめることができない性分というのは生きにくいなあとつくづく思う。こういう性分だと仕事とかもうまく進められないというのは分かる。だがそこに上手く合わせていくことができない。
...まあこれもASDの面倒くさいところではあるんだろうなと思いつつ、そこから先に進めない今日この頃である。
歌う
久しぶりにヒトカラに行った。ヒトカラ専門店ワンカラのゴールド会員というぼっちの称号はシルバーになっていた。ちょっと悲しい。
歌はストレス解消でもありストレッサーでもある厄介な代物である。最近の私はテクニックにこだわり過ぎて好きに歌う感じを見失っている。歌手でもないんだから好きに歌えばいいのだが、テクニックを覚えてきているせいで歌うときちょっと考えてしまったり。ああよくない。
しかしカラオケより生バンドで歌いたいものである。
強迫観念はまだ取れない、というか日常的に不安の種ばかり見つけ出している。面倒なやつだなあ。と自分でも思う。その不安も周りから見たら馬鹿げたものばっかりだ。そういう症状を持て余している。
まあ劇的には変わるまいな...。
本もRSSも読み進まず1日が終わった。明日はもっとまともにやりたい。
制御するのは難しい
今日も医者。
その前にちょっと歩くことにした。「気を逸らすもの」の一環である。
ウォーキングっぽく、なるべく早足で歩いてみたら少し元気が出た。
しかしこれも「歩かなきゃ」といきなり思うところが強迫観念的で、やっぱり調子がおかしいのだなあと思う。
前も毎日一万歩以上歩かねばとなぜか思い、無理やりやっていた。思えばあれも強迫観念に近い。
ちゃんとしなきゃ、不安を解消しなきゃ、気を逸らさなきゃ、ああ全部強迫観念に思えてきた。なんなのもう。
医者に話してもそれがちゃんと表現できているか分からないし、難しい。
書いていると少し自分を整理できる。書くのは今まで嫌いだったし、ブログには役立つことを書かねばと気負ってきたのを捨てたのが大きいのかもしれない。しかし「毎日書かなきゃ」とならないように気をつけねば。既になりつつある。
読書もなかなか集中できない。いまはGAFAの本読んでいるがなかなか進まない。やはり実用書だとスピード落ちるなあ。
- 作者: スコット・ギャロウェイ
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気を逸らすもの
昨日に引き続き医者通いである。泣ける。神経症的不安が体調不良を生み出している感じ。よく眠れないし。悪循環というやつだこれは。
ずっとどんよりとしていたので、午後はジンジャーの効いたチャイを飲みながら読書をした。だいぶ前から積読していた「羊と鋼の森」。集中して読めたし気分転換になった。
- 作者: 宮下奈都
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気持ちの切り替えというか、放っておくとひたすらに不安に囚われてしまうので、気を逸らすものは重要だなと思った。もちろん根本にあるこの不安感はどうにかして解決すべきなんだけど、自分一人でどうにかなるものでもない。対処療法といえばそれまでではあるが、何もないよりは多分ましだ。
明日も病院。来週から学校が始まる。そろそろペースを戻したいところである。