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ただの日記。たぶん。

好きな作家の歴史を辿る

お題「好きな作家」  

お題という便利な機能があるのか。  

そして好きな作家。  

初めて著作を複数読んだのはもはやレーベルもなくなってしまったティーンズハートの折原みとだった。初めて読んだのは「時の輝き」だったと思う。「アナトゥール星伝」も途中までだけど読んだ。  

彼女の作品を読んでて思ったのは、すごく真面目な人なんだなあということ。なんというか、ふわっとした恋愛ものじゃない地平を拓こうと奮闘していた感じがする。 

時の輝き (講談社文庫)

時の輝き (講談社文庫)

Kindle版で読めるのか。読み返そうか。  

中学生くらいの時は吉本ばななにはまっていた。高校の推薦入試面接の待ち時間に出たばかりの文庫版「アムリタ」を読み耽って面接のときも吉本ばななワールドにいたのは懐かしい思い出である。  

アムリタ (上)

アムリタ (上)

大学時代は急速に本格ミステリに耽溺した。有栖川有栖の「朱色の研究」がきっかけで火村シリーズにはまり、次々と読んだ。北村薫の「円紫師匠と私」のシリーズも大好きだ。  

朱色の研究 (角川文庫)

朱色の研究 (角川文庫)

空飛ぶ馬 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)

空飛ぶ馬 (創元推理文庫―現代日本推理小説叢書)

「アムリタ」の影響で「哲学者の密室」を読みたい一心で笠井潔の矢吹駆シリーズに手を出したのもこの頃だ。

哲学者の密室 (創元推理文庫)

哲学者の密室 (創元推理文庫)

大学院生か社会人にかけてはまったのは阿部和重保坂和志阿部和重芥川賞獲ったときすごい勢いで彼のインタビューやら対談やらが載る文芸誌を買い漁った。あの頃の私には熱量があった。

シンセミア(上) (講談社文庫)

シンセミア(上) (講談社文庫)

阿部和重は高校時代に「インディヴィジュアル・プロジェクション」を図書室で借りて、わけわからんけどすごいとなって、その後「ニッポニアニッポン」「シンセミア」で「再会」した。

保坂和志は「カンバセイション・ピース」を最初読んだ時は投げたくなったが、その後何度も読み返している。

  

ここからの私は社会人だしビジネス書とかも読もうかな、となったり、ベストセラー読んでみる派になったりして、好きな作家を読むより乱読系人間になった。

こうして振り返ると懐かしいものがある。折原みとから吉本ばななへの流れとか、ミステリへの傾倒とか、純文学への憧れ的なものとか。

昔は虚心坦懐に読んでたな、と思う。なんというか、勝手にしがらみや目的を増やして読書が減っていった。確実にSNSの影響もある。

今年はもっと素直に本を読みたいものである。

 

主体性

歯医者に定期検診に行ったら経過観察だった虫歯を遂に治療すると宣告された。  

いやまあいいけど。いいけどさあ。また医者に通わなければならないのか。憂うつである。  

ついでに歯ぎしりを指摘された。確かに無意識によく歯を噛み締めていた。あまりよくない。どうもストレスからだと思うのだが。ストレスというのはなかなか難しいものである。  

今日は久しぶりに髪も切った。美容院というところはコミュ障が行くと結構厳しいときがある。皆さん美容院で会話してますか。そもそも「どうしますか?」って聞かれて明快に答えられますか。私は無理です。  

まあそれだけじゃなくてあんまり自分の判断を信用してないので、プロに任せたいときがあるのである。歌もそうで、課題曲を先生に任せきっている生徒は私くらいではなかろうか。歌いたい歌がないわけでもないが、どうもその方が良い感じになるというか。これやりたいですって言いづらいっていうか。  

書いてて思ったが主体性のなさがすごいな、自分...。主体性というか、自信のなさが強烈である。自分で選ぶと間違えそうな感じがあって怖いという。  

しかしそんな感じでは大事な決断ができないのではないか。という気もするし、決めてもらうというのもひとつの決断だという言い訳じみた解も頭に浮かぶ。  

ひとつ言えるのは結構ストレスフルだということだ。憂うつだ。早くこの憂うつを解消したい。

無題

無題というのは適切なタイトルが思いつかないということです。すみません。
今日出かける時にKindleを忘れてきたので、iPhone XSKindleアプリで「お金2.0」を読んでいたがなかなか進まない。アプリの所為か精神状態の所為かはたまた面白くないのか、内容が入ってこない。まあ中々実用書の類は熱中ができない。難しい。 Prime Readingでいくつかダウンロードしてきたが読めるのだろうか。

心配性の方は相変わらずというか調子が全然良くないので参ってしまう。明日からは正月気分も(そんなもの最早ないが)抜けて普通の日々に戻っていくのだから、それで何か変わるといいなあと真剣に考えている。とりあえずマインドフルネスの本を読もうと思った。大分前に買ったまま積読であった。
どうでもいいがCDがついている本で、私はCDがついている本が苦手なのだ。音声ダウンロードにしてほしい。CDプレイヤーもう家にないし、CD付きの本のCDって剥がしにくくないですか。あれいつも心折れるんだよなあ…。
本当にどうでもいいことだけど。

心配性の果てに

年明けは元気だったのだが、急速に心配性が極限まできてて自分でも若干やばくなっていると感じる年初である。
世界の全ての物事が自分を不安にさせるというか、「何かあったらどうしよう」「こうなってたらどうしよう」みたいなことばかり毎日考えて、しかもその対象がころころ変わる。
明らかに心の調子が崩れているんだけれども、年始ということもありどうにもできず悶々としているというか。
割と明るくスタートできたと元日には思ったものだが、なかなかどうして一筋縄ではいかないものである。参ったなあ。
まあ年初の通院で医者と話し合いをせねばならない。今のこの状況がなんなのか。全般性不安障害というやつだろうか。なんかそれとも違う気がするし強迫性障害とも若干違うような。
どうでもいいがこうやって病名だけ覚えていくのもなんだか悲しいものがあるな、と思う。
今こそ投げてしまっていたマインドフルネスに手をつけるべき時な気もするが、マインドフルネス、書籍調べると多すぎてなるほどわからんみたいになる。あそこから適切な本を選んでくるの、至難の業ではないか。と思ったり。

2019年になった

2019年になった。ブレードランナーの年だ。
2018年の大晦日といえば、年越しそばは昼に食べ、夜はちょこちょこと食べて寝室に籠り紅白をラジオで聴いていた。映像で見るものを音声だけで聴くというのはなかなか新鮮な体験だった。要所要所でアナウンサーが実況を入れてくれる。けん玉の様子とか。
しかし諸事情があり星野源と米津玄師とMISIAサザンオールスターズだけTVで見た。桑田さんとユーミンが肩抱き合って歌う様は平成の終わりというより昭和の名残を感じた。さすが昭和長かったからなあ。
そのあと東急ジルベスターを見た。最後15秒のフェルマータは思わず笑ってしまったがあれ大変だっただろうな。お疲れ様でした。ジルベスター見てて初めて本気でドキドキした。
なんというか特に盛り上がりもない年越しではあるが、むやみに今年からがんばるぞ!と区切ると絶対途中でうまくいかない時挫折するのであまり気負わないことにした。実際まだ年越してない国いっぱいあるし。今日も人生の中の1日に過ぎないのだ。
と思いつつだらだら文章を書いているのは諸事情で眠れないからではあるが、そもそもブログはこういう駄文を書けばいいのだな。となんとなく悟った今日この頃である。

今年もよろしくお願いいたします。

2018年反省

まあまだあと少し残ってはいるけど、今日が世間的には仕事納めらしいので。

あっという間に2018年が終わってしまう。びっくりだ。
今年も浮き沈みが激しかったというか...いや浮いたときがあっただろうかという感覚である。
個人的には学校に通い始めたのは多少大きかったかもしれない。しかしコミュ障を激しく発揮していてコミュニケーションはまともに取っていない。まあ大人の通う学校なんてそんなものだろう...。

音楽

音楽活動はなんとか頑張ったという感じがする。楽器はオケで弾いたり室内楽やったりバンドで弾いてみたり。バンドは新鮮体験だった。
しかし楽器は難しい。おそらくASDもあって手先が致命的に不器用なのに弦楽器弾いてるってなんだか無茶ではないか、と考えてしまうことがある。20年以上やっててこれか...と思いつつ、楽器を全く弾かないというのも考えられず、できる限り弾き続けようと思う。
唯一の得意技の歌は...活かす機会があまりないというのが実情ではある。バンドとかやればいいのだろうが、人脈がないしそもそもボーカル募集してるバンドなんてほぼない。歌が得意って難しいな。数学が得意な方が生きやすさは抜群だった気もするが。まあ歌もいつか何かに活きるでしょう...。

映画

映画は昨年以上に観た。本数で言えば重複(2度目に観た)を除けば110本。だいぶ途中ダレたし映画が強迫観念みたいになってあまりよくはなかったのだが....。まあ、来年も気力が続けば見続けようと思う。
感想はFilmarksに入ってるのでよろしければ読んでください。本当はランキングとか書ければいいんだけどそこまでの気力はなかった。

読書

全然読まなかった。積読が異様に積み上がっている。たまにやる気が出るのだが、活字が目に入ってこない、それ以前に本のページをめくるのが怠いという為体である。
来年はせめて積読を消化くらいはしたい。

生活

生活は相変わらず不安定で、色々な問題をいくつも抱えている。なんというか自分をどんどん責める感情と完璧主義があり、完璧にできない恐怖で身体が動かないみたいな感覚である。
ASDと診断されてからASDに関する本を読んだり色々調べたりしてはいるが、ひとによって色々違うのもあり余計考え込んでしまった。
自分自身の受容がうまくいっていないということかもしれない。来年は自分と折り合いをつけられるくらいにはなりたい。

来年の目標などは特に立てない。生きていればいつか浮上もするだろう。とにかく生きていきたい。
幸い私はとても周りに恵まれている。もう少しご迷惑をおかけしますが、来年もよろしくお願いいたします。

37才になった

あっという間に1年経ってしまって37才になってしまった。37って半端だな。40才まであと3年である。どことなくマズい。このままではマズい気がする。
しかし長々と患ってきたものの結論が漸く出てきて、まあASDなんだけど、恐らく二次障害である鬱の波がすごい。所謂非定型というやつであろう。この1ヶ月は最早屍のようであった。
生ける屍状態で37才はやってきた。色々足掻いてはいるのだが、まずはもうちょっと元気だった頃に戻すのが先だ。読書も映画鑑賞も音楽も勉強も、そして働くということも、軽やかにやるにはまだ心身が重過ぎる。最早まともなコミュニケーションも忘れかけている。
そんな状態だから、もう少しマシだった頃に戻すのが当面の目標である。いや、戻すのとも違う。再構築だ。戻しても多分同じことの繰り返しだ。
ライフハックという言葉は苦手だし、昨今話題となる発達障害事例はなんだか偏っていて役に立つ気がしない。だからもう手探りでいくしかないなという気持ちだ。正直迷走しているが、今更いきなり悟りを開ける訳でもあるまい。

ほしい物リストを36才最後の1時間で気力を振り絞って作ったので、このヨレヨレの人間を支援してやっていただければ幸いである。
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