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ただの日記。たぶん。

アウトプットするということ。

毎日200〜300くらい記事読んで、ぶくまつけて、スターつけて、TwitterやらTumblurにポストして。

自分は情報を大量にインプットしてるつもりだった。なんとなく勉強して偉くなったつもりになってた。

でも、そうやってため込んだ知識は他の人と話すときに何の役にも立たなかった。

つまり、これはインプットじゃあなかったわけだ。だってアウトプット口がないんだから。

となると自分がやってきたことは何だったのか? 

少なくとも現時点では、ただの消費になっているのは間違いない。

ネット巡回がインプットにならずただの消費になっていた

自分ははてブという行為をインプットとアウトプットを同時にやってしまう割にものぐさな行為だと思っています。読んだ記事に対する第一印象を100字以内でアウトプット。*1
twitterも割にものぐさなアウトプット行為。

でも、通常入れた情報を「役に立たせる」のってそう簡単じゃないんじゃないかと思うのです。
インプットをアウトプットに変換するにはそれなりの過程が必要なんじゃないかと。
アウトプットするためにインプットしてるのは本末転倒なのではないだろうか、とふと思ったのでした。
気になるものはどんどん入れる。そのときに結実しなくても気にしない。一見無駄だと思える行為であっても、いつかアウトプットを生むんじゃなかろうかと。

ただし、アウトプットを生むには「アウトプットしよう!」と思ってることがまず肝心なんだろうなとは思います。
蓄積したものを外に出そうと思っているのであれば、今は消費だと思ってるものもいつかは生きるんじゃないかなあ。
いつか、いつかって漠然としてますが、アウトプットはインプットを蓄積した中で自然に浮かび上がってくるものであって、「いつまでに」決めるものじゃないような気がします。

ちなみに。
ここでいう「消費」って、何を失っているんだろう?
と、あとから漠然と思いました。

しょうひ せう― 0 1 【消費】
(1)物・時間・エネルギーなどを、使ってなくすること。
「時間を無駄に―する」
(2)〔経〕 欲望充足のために、生産された財貨・サービスを使うこと。

敷(き)松葉(しきまつば)の意味 - goo国語辞書

*1:ブコメする場合のことです