2016年の終わり
2016年が終わる。
この1年を振り返ると、
1-3月:上昇期
4月-6月:下降期
7月-10月上旬:どん底期
10月下旬-12月:上昇期
という感じであった。
夏のどん底期はもう何が何だかよく覚えていない。
何をするのもしんどかったし、本は読めないし、楽器を弾こうとしても集中力は続かないし、散々だった。
年末は少しずつ動けるようになってきたが、また下降してどん底に行くんじゃないかと危惧している。
2016年は特に何も為すことがない1年だった。本も結局あまり読まなかったし(読もうと思って買った本が積読状態で放置されていた)、書くこともしんどかった。音楽も楽しめない時期が続いた。
今現在はようやく先が見え始めて、頑張れるかもしれないと思えている。ただそう思ったあとで2回くらい酷い下降とどん底を経験しているので、油断ならない。中庸を目指したい。
来年の目標は規則正しく生きることである。
毎日を整理して暮らすことが極端に苦手だ。とにかく目についたものを手当たり次第やっつけていくタイプなので非常に効率が悪い。その辺を少しずつでもいいので改善して生きたい。
ブログは気が向いたら何か書けるようにしたいと思う。
来年もどうぞよろしくお願いします。
35才になった
35才というのは何かしら特別だと思っていた。
いやまあ30才もそんな感じはしていたのだが。
もう社会人としても中堅どころになって、キャリアを積み重ねていく時期。
子どもの頃考えた35才は圧倒的に大人だった。
ところが私は文字通り停滞した状態のままこの歳を迎えてしまった。
自分が大人としてやれているかどうかも正直自信がない。
こんなはずじゃなかったなぁ、と思う。
しかし、人生遅かれ早かれこんな事になっていたんじゃないかとも思う。
今まで感じてきた生きづらさを無理やり無視して歩いてきたツケなのかもしれない。
小さい頃から集団行動が苦手で、合わせることがうまくできなかった。
あまり学校生活には向いていないタイプだったと思う。うまく周りに溶け込めないまま理由もよくわからず、かといって我が道をひたすら行くには私は弱すぎた。
年を経るにつれて何とか生きる上で最低限の処世術だけは身に付けて社会に出たと思っているけれど、その処世術も付け焼き刃でしかなかったのかもしれない。
なかなかうまくいかないものだ。
35才。
焦る。これまでも毎日目の前の事で精一杯でキャリアプランなんてもの考えずにやってきたし、ひとより秀でた技術や才能もない。
何より受身で行動をしてこなかった。
これからどうやって生きたらいいのか全然わからない。行動しなければ、動かなければという焦燥感だけが先走って全然身体がついてこない。
どうしたものやら、と若干途方に暮れている。
誕生日には何かしら目標みたいなものを立ててきたけれど、今回はそれはなしにしようと思う。
とにかく生きて、考えること。
無理になにかをしようとしないで自分を見極めること。
強いて言えば自分を受け入れてやることが目標かもしれない。
以上、完全に独り言でした。
これからもどうぞよろしくお願いします。
2月に読んだ本
4冊。結局少なかった。
ブログなんて書きたいときに書ければそれでいい
ここしばらくブログを書かなくなって。
自分にとって書くのって未だに中々しんどい作業なんだなと実感した。
最近ブログ論とかよく見かけるけど、ブログを頑張って毎日書こうとしてるときより今のほうが正直若干気楽なので、私にはブログ論など論じることもないのだろうな。と思う。
書けないなら書かなくてよいのだ。
書きたいことがあるときに書きたいことをきちんと書ければよいのだ。
と実感した。
毎日ネタに溢れて書きたいことが山のようにある人は毎日書けばいいし。
捻り出さなければブログネタがない時にはブログなんて放置しておけばよろしい。
というかそれを実感するのが遅すぎだろうと思う。
ブログを一生懸命毎日書こうとしていると、なんだか身を削られる気分になってくるのであれば、書かなきゃ良いだけの話。
書かないことで被る損失は無理やり捻りだして書くことで得る利益より少ないんじゃないかと思う。
ブログ論を論じる資格がないと書いたけれど、あえてブログ論とするなら「書けない時には無理して書くな」。
なので次の更新はいつになるか私にもわかりません。
Kindleで読んでよかった本
この記事を読んで。
Kindleは確かに読書が捗る。
本を入手する、というハードルが劇的に下がるのだ。
セールもしょっちゅうあるし、そこを狙って買いだめをしてしまう。
ついつい、今まで読んだことがなかったけれど読んでみたかった本を買ってしまったりする。
この端末の中に何十冊も入れておけるなんて革命的だ。
かばんに常に入れて、読みたい時に読める。しかも3Gつきモデルだから読みたい時にすぐ買える。
最近はKindleで買える本は全てKindleで買って読むようにしている。
読書へのハードルはものすごく下がったと思う。
今回は、自分がこれまでKindleで読んでよかったなあと思える本を挙げてみようと思う。
もう読んでるよ、ってものが多いかもしれないけれど、自分にとってはこういう本との出会いは僥倖である。
金田一耕助シリーズ
金田一耕助ファイル4 悪魔が来りて笛を吹く<金田一耕助ファイル> (角川文庫)
- 作者: 横溝正史
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
- 発売日: 2012/10/01
- メディア: Kindle版
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これは偶々カドカワのセールの時に買ったのだが、私は横溝正史に嵌って他のシリーズも貪り読むことになった。
おどろおどろしさが全面に出ている感じの横溝正史作品だけれど、読むと非常にオーソドックスな本格ミステリであることがわかる。おすすめ。
名探偵ポアロシリーズ
名探偵ポアロシリーズも気になるのに手をつけなかった作品だが、これを読んでシリーズを読むようになった。
まだ全部読んでないので楽しみ。
濡れた太陽
劇作家であり演出家である前田司郎が書いた高校演劇の小説。
高校生特有の心情の機微と高校演劇の面白さと演劇論が合わさった傑作。
同じく高校演劇を題材にしてももクロ主演で映画にもなった「幕が上がる」もKindleで読める。おすすめ。
偽悪のすすめ
この本2回読んだけど面白い。坂上忍の生き方は破天荒すぎる部分もあるが、とにかく一本筋を通しているという点においてはすごく真面目なんだろうなあと思える。タイトルがちょっといただけないけど。あんまり中身偽悪のすすめって感じではないし。
まだKindleで読んでない本が溜まってるし、Kindle本のほしい物リストが500件を超えてしまった。まだまだ読みたいものがたくさんあるので今後もジャンル問わずどんどん読んでいきたい。
続・ブログは何のために書かれるのか
ブログを書くことに結構悩んでいる。
以前ブログを書いた時、ブログは文章の練習と承認欲求のために書いていると書いた。
文章を書くときの恐怖心は今も消えない。
自分の言葉がきちんと伝わるかどうか、常に不安だ。
本の感想とか何を書いても間違いなんてないと思うのだが、それでも不安になる。
自分は文章恐怖症なのだろうか。
ただほんの少しではあるけれど、自分の中の雑な感想(例えば「面白かった」とか)に肉付けすることはできるようになってきた。
その点で言えば少しは成長しているのかもしれない。歩みはのろいが。
承認欲求について思うところがある。というか、悩んでいる。
ブログはやはり「読まれたい」ものだと思う。別に大学ノートに書いたって構わないことを世界中に晒しているのだから、読まれないと嬉しくない。
「読まれたい」という欲求が書くモチベーションにもなるけれど、それが呪縛にもなるのを感じている。
以前の記事でid:fujiponさんがこんなブコメをつけて下さった。
これ、簡単そうですごく難しいことだと思うのだ。
書きたい時に書き、書きたくない時には勇気を出して書かないこと。
読まれたいという欲求に負けて書けないのに無理やりブログを書くのは本末転倒だと思うのだ。
しかし、それでも、読まれたい欲求って、結構強い。
アクセス数が増えれば嬉しいし、アクセス数が伸びないと取り残された気分になる。
そして一時的にでもアクセスを増やすには、やはり、書くしかないのだ。
他にブログを書いている人はこういう感情に悩まされたりはしないのだろうか。
書きたい時に書けばいいのだ、と前回書いた自分が、なんとなく書くことへの呪縛に囚われているような気がして仕方ない。
自分の悩みは瑣末なものなのだろうか。
こうやって雑文を世界に垂れ流して何か答えはないものかと考える日々である。
王とサーカス(米沢穂信)
「このミステリーがすごい!」2016年版第1位、本屋大賞候補作。
ミステリー好きなのでこのミスは結構参考にしている。
実在の事件をモチーフにしており、最初は主人公の太刀洗万智がその謎を解くのかと思っていた私の予想は呆気無く覆された。
主人公の太刀洗万智は取材をしながらもなぜ自分が書くのか、ということに迷いを感じている。
「タチアライ。お前はサーカスの座長だ。お前の書くものはサーカスの演し物だ。我々の王の死は、とっておきのメインイベントというわけだ」
書くことによってその出来事は娯楽として消費される。日々ニュースを消費している自分には刺さる言葉だった。確かにニュースはいっときの話題を提供したあと自分の前から流れ去ってゆく。ニュースの中に存在する人々を置き去りにして。
人は常に刺激を求めていて、その刺激を提供するのがジャーナリスト。自分は消費する側として、どう向き合っていけば良いのだろう。考えているが、うまく答えを出すことができない。
物語の中で発生する事件の結末は苦さをもたらす。「サーカスの演し物」を提供する太刀洗万智に向けられる感情。それはあまりに苦いものだけれど、この小説の根幹をなす部分でもあるように思う。
ミステリーとしても非常に良く出来ている。前半部分、私が勘違いして読み進めていた部分から後半の非常にきっちりとした展開。謎解きも非常に面白い。
だが個人的には、自分はどうやって「サーカスの演し物」に向きあえば良いのだろうか、と考える一作になった。