ブログなんて書きたいときに書ければそれでいい
ここしばらくブログを書かなくなって。
自分にとって書くのって未だに中々しんどい作業なんだなと実感した。
最近ブログ論とかよく見かけるけど、ブログを頑張って毎日書こうとしてるときより今のほうが正直若干気楽なので、私にはブログ論など論じることもないのだろうな。と思う。
書けないなら書かなくてよいのだ。
書きたいことがあるときに書きたいことをきちんと書ければよいのだ。
と実感した。
毎日ネタに溢れて書きたいことが山のようにある人は毎日書けばいいし。
捻り出さなければブログネタがない時にはブログなんて放置しておけばよろしい。
というかそれを実感するのが遅すぎだろうと思う。
ブログを一生懸命毎日書こうとしていると、なんだか身を削られる気分になってくるのであれば、書かなきゃ良いだけの話。
書かないことで被る損失は無理やり捻りだして書くことで得る利益より少ないんじゃないかと思う。
ブログ論を論じる資格がないと書いたけれど、あえてブログ論とするなら「書けない時には無理して書くな」。
なので次の更新はいつになるか私にもわかりません。
Kindleで読んでよかった本
この記事を読んで。
Kindleは確かに読書が捗る。
本を入手する、というハードルが劇的に下がるのだ。
セールもしょっちゅうあるし、そこを狙って買いだめをしてしまう。
ついつい、今まで読んだことがなかったけれど読んでみたかった本を買ってしまったりする。
この端末の中に何十冊も入れておけるなんて革命的だ。
かばんに常に入れて、読みたい時に読める。しかも3Gつきモデルだから読みたい時にすぐ買える。
最近はKindleで買える本は全てKindleで買って読むようにしている。
読書へのハードルはものすごく下がったと思う。
今回は、自分がこれまでKindleで読んでよかったなあと思える本を挙げてみようと思う。
もう読んでるよ、ってものが多いかもしれないけれど、自分にとってはこういう本との出会いは僥倖である。
金田一耕助シリーズ
金田一耕助ファイル4 悪魔が来りて笛を吹く<金田一耕助ファイル> (角川文庫)
- 作者: 横溝正史
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
- 発売日: 2012/10/01
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログ (2件) を見る
これは偶々カドカワのセールの時に買ったのだが、私は横溝正史に嵌って他のシリーズも貪り読むことになった。
おどろおどろしさが全面に出ている感じの横溝正史作品だけれど、読むと非常にオーソドックスな本格ミステリであることがわかる。おすすめ。
名探偵ポアロシリーズ
名探偵ポアロシリーズも気になるのに手をつけなかった作品だが、これを読んでシリーズを読むようになった。
まだ全部読んでないので楽しみ。
濡れた太陽
劇作家であり演出家である前田司郎が書いた高校演劇の小説。
高校生特有の心情の機微と高校演劇の面白さと演劇論が合わさった傑作。
同じく高校演劇を題材にしてももクロ主演で映画にもなった「幕が上がる」もKindleで読める。おすすめ。
偽悪のすすめ
この本2回読んだけど面白い。坂上忍の生き方は破天荒すぎる部分もあるが、とにかく一本筋を通しているという点においてはすごく真面目なんだろうなあと思える。タイトルがちょっといただけないけど。あんまり中身偽悪のすすめって感じではないし。
まだKindleで読んでない本が溜まってるし、Kindle本のほしい物リストが500件を超えてしまった。まだまだ読みたいものがたくさんあるので今後もジャンル問わずどんどん読んでいきたい。
続・ブログは何のために書かれるのか
ブログを書くことに結構悩んでいる。
以前ブログを書いた時、ブログは文章の練習と承認欲求のために書いていると書いた。
文章を書くときの恐怖心は今も消えない。
自分の言葉がきちんと伝わるかどうか、常に不安だ。
本の感想とか何を書いても間違いなんてないと思うのだが、それでも不安になる。
自分は文章恐怖症なのだろうか。
ただほんの少しではあるけれど、自分の中の雑な感想(例えば「面白かった」とか)に肉付けすることはできるようになってきた。
その点で言えば少しは成長しているのかもしれない。歩みはのろいが。
承認欲求について思うところがある。というか、悩んでいる。
ブログはやはり「読まれたい」ものだと思う。別に大学ノートに書いたって構わないことを世界中に晒しているのだから、読まれないと嬉しくない。
「読まれたい」という欲求が書くモチベーションにもなるけれど、それが呪縛にもなるのを感じている。
以前の記事でid:fujiponさんがこんなブコメをつけて下さった。
これ、簡単そうですごく難しいことだと思うのだ。
書きたい時に書き、書きたくない時には勇気を出して書かないこと。
読まれたいという欲求に負けて書けないのに無理やりブログを書くのは本末転倒だと思うのだ。
しかし、それでも、読まれたい欲求って、結構強い。
アクセス数が増えれば嬉しいし、アクセス数が伸びないと取り残された気分になる。
そして一時的にでもアクセスを増やすには、やはり、書くしかないのだ。
他にブログを書いている人はこういう感情に悩まされたりはしないのだろうか。
書きたい時に書けばいいのだ、と前回書いた自分が、なんとなく書くことへの呪縛に囚われているような気がして仕方ない。
自分の悩みは瑣末なものなのだろうか。
こうやって雑文を世界に垂れ流して何か答えはないものかと考える日々である。
王とサーカス(米沢穂信)
「このミステリーがすごい!」2016年版第1位、本屋大賞候補作。
ミステリー好きなのでこのミスは結構参考にしている。
実在の事件をモチーフにしており、最初は主人公の太刀洗万智がその謎を解くのかと思っていた私の予想は呆気無く覆された。
主人公の太刀洗万智は取材をしながらもなぜ自分が書くのか、ということに迷いを感じている。
「タチアライ。お前はサーカスの座長だ。お前の書くものはサーカスの演し物だ。我々の王の死は、とっておきのメインイベントというわけだ」
書くことによってその出来事は娯楽として消費される。日々ニュースを消費している自分には刺さる言葉だった。確かにニュースはいっときの話題を提供したあと自分の前から流れ去ってゆく。ニュースの中に存在する人々を置き去りにして。
人は常に刺激を求めていて、その刺激を提供するのがジャーナリスト。自分は消費する側として、どう向き合っていけば良いのだろう。考えているが、うまく答えを出すことができない。
物語の中で発生する事件の結末は苦さをもたらす。「サーカスの演し物」を提供する太刀洗万智に向けられる感情。それはあまりに苦いものだけれど、この小説の根幹をなす部分でもあるように思う。
ミステリーとしても非常に良く出来ている。前半部分、私が勘違いして読み進めていた部分から後半の非常にきっちりとした展開。謎解きも非常に面白い。
だが個人的には、自分はどうやって「サーカスの演し物」に向きあえば良いのだろうか、と考える一作になった。
東京で消耗する理由-まだ東京で消耗してるの?(イケダハヤト)
まだ東京で消耗してるの? 環境を変えるだけで人生はうまくいく (幻冬舎新書)
- 作者: イケダハヤト
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2016/01/29
- メディア: 新書
- この商品を含むブログを見る
ブログは何のために書かれるのか
ブログを大量更新というのが話題になっていた。
なんだかずっともやもやしていたのだが、言いたいことは大体他の方のブログで書かれていた。
azanaerunawano5to4.hatenablog.com
だから今更なのだが、ブログって何のために書くのだろうかということを多更新を見ていて考えた。
承認欲求のため?
有用な知識を世間に広めるため?
自己満足?
個人的な日記として?
じゃあお前はなんでブログ書いてるんだよ、と言われると。
文章の練習と承認欲求のために書いている。
何回も書いているが私は書くのが苦手だ。最近気づいたけれどビジネスメールとかマニュアルとか要件の整ったものは割とすんなり書けるのだが、自分のもやもやした意見や考えを文字起こしして的確に他人に伝えることが難しい。だから訓練のためにブログを書いている。
承認欲求はないと言ったら絶対嘘になる。アクセスされれば嬉しいしスター貰えば嬉しいしブクマされれば本当に嬉しい。
ブログは何のために書くのかという話に戻ると、それは別に人それぞれで良いと思う。
でも超多更新の何が自分にとって微妙だったかといえば、それは多更新が目的になってしまっているような気がしたからだ。
何かを伝えたい、という前にとにかく記事を更新したい、という感じを受けたからだと思う。あまりうまくいかなかったと思っておられるようだが、そういう捉え方をした方が多かったのではないか。
このブログは正直全然見に来るひとがいない。それでも書き続けるのは下手くそな言葉でも何かを伝えたいからだ。
伝えるのは怖い。間違って伝わる可能性もあるし、それが悪意につながる可能性だってある。
でもブログっていうのは何かを伝えないと意味があんまりないと思うのだ。
そしてその意味の文脈は人それぞれで、更新の頻度もそこについてくるのではないのだろうか。
今日はなぜか2記事も更新しているが、多分またそんなに書かなくなると思う。
書きたい時に書きたいことを書けば良いのだ。多分。
人工知能は人間を超えるか(松尾豊)
Kindleのセールで安かったから買った本。
人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの (角川EPUB選書)
- 作者: 松尾豊
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/中経出版
- 発売日: 2015/03/11
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (10件) を見る
人工知能については正直よく知らない。ディープラーニングも言葉は知ってるがそれは一体何ぞやということはわからない。という状態で読んだ。
筆者によれば今の人工知能ブームは3度目の春だという。Webの広がり、ビックデータの時代の到来に伴う機械学習とディープラーニングのビッグウェーブ。
この本ではそもそも人工知能とは何ぞや(まだ人工知能はできていないそうだ)、というところから過去の2度のブームの振り返り、そして今回のブーム(特にディープラーニング)について解説している。
正直言うともう2,3回読まないと多分人にディープラーニングについて説明できるようにはならないだろう。だが読んでも全然全くわかりません、ということはなく、わかりやすい例えを使って説明している。多分自分の理解力の問題だ。きっと。もっとディープラーニングについて知りたくなったので、他の書籍も読んでみたい。
ディープラーニングの元になる考えは皆持っていたものの、そこからの飛躍が必要だった、というところが非常に興味深かった。
そして肝心のタイトル、「人工知能は人間を超えるか」。」シンギュラリティという言葉もはじめて聞いた。
筆者は現時点においてこれを夢物語と語る。それは仮に知能を作ることができても生命をつくることが難しいからだという。この辺の説明も例えが効いていてわかりやすい。
とは言え確実に人工知能は私達の生活を変えてゆく。終章では人工知能によって引き起こされる社会的、産業的変化について述べている。よく出てくる「将来的になくなる職業・残る職業」も出てくる。人工知能は人間を超えなくても、間違いなく私達の生活を変えてゆくのだ。自分の将来についても考えさせられる。
普段あまり触れない分野ではあるが興味深かった1冊。