続・ブログは何のために書かれるのか

ブログを書くことに結構悩んでいる。

以前ブログを書いた時、ブログは文章の練習と承認欲求のために書いていると書いた。

 

andhyphen.hatenablog.com

 文章を書くときの恐怖心は今も消えない。

自分の言葉がきちんと伝わるかどうか、常に不安だ。

本の感想とか何を書いても間違いなんてないと思うのだが、それでも不安になる。

自分は文章恐怖症なのだろうか。

ただほんの少しではあるけれど、自分の中の雑な感想(例えば「面白かった」とか)に肉付けすることはできるようになってきた。

その点で言えば少しは成長しているのかもしれない。歩みはのろいが。

承認欲求について思うところがある。というか、悩んでいる。

ブログはやはり「読まれたい」ものだと思う。別に大学ノートに書いたって構わないことを世界中に晒しているのだから、読まれないと嬉しくない。

「読まれたい」という欲求が書くモチベーションにもなるけれど、それが呪縛にもなるのを感じている。

以前の記事でid:fujiponさんがこんなブコメをつけて下さった。

f:id:and_hyphen:20160210191730p:plain

これ、簡単そうですごく難しいことだと思うのだ。

書きたい時に書き、書きたくない時には勇気を出して書かないこと。

読まれたいという欲求に負けて書けないのに無理やりブログを書くのは本末転倒だと思うのだ。

しかし、それでも、読まれたい欲求って、結構強い。

アクセス数が増えれば嬉しいし、アクセス数が伸びないと取り残された気分になる。

そして一時的にでもアクセスを増やすには、やはり、書くしかないのだ。

他にブログを書いている人はこういう感情に悩まされたりはしないのだろうか。

書きたい時に書けばいいのだ、と前回書いた自分が、なんとなく書くことへの呪縛に囚われているような気がして仕方ない。

自分の悩みは瑣末なものなのだろうか。

こうやって雑文を世界に垂れ流して何か答えはないものかと考える日々である。

 

 

 

 

王とサーカス(米沢穂信)

 

王とサーカス

王とサーカス

 

 

王とサーカス

王とサーカス

 

 「このミステリーがすごい!」2016年版第1位、本屋大賞候補作。

ミステリー好きなのでこのミスは結構参考にしている。

実在の事件をモチーフにしており、最初は主人公の太刀洗万智がその謎を解くのかと思っていた私の予想は呆気無く覆された。

ネパール王族殺害事件 - Wikipedia

主人公の太刀洗万智は取材をしながらもなぜ自分が書くのか、ということに迷いを感じている。

「タチアライ。お前はサーカスの座長だ。お前の書くものはサーカスの演し物だ。我々の王の死は、とっておきのメインイベントというわけだ」

書くことによってその出来事は娯楽として消費される。日々ニュースを消費している自分には刺さる言葉だった。確かにニュースはいっときの話題を提供したあと自分の前から流れ去ってゆく。ニュースの中に存在する人々を置き去りにして。

人は常に刺激を求めていて、その刺激を提供するのがジャーナリスト。自分は消費する側として、どう向き合っていけば良いのだろう。考えているが、うまく答えを出すことができない。

物語の中で発生する事件の結末は苦さをもたらす。「サーカスの演し物」を提供する太刀洗万智に向けられる感情。それはあまりに苦いものだけれど、この小説の根幹をなす部分でもあるように思う。

ミステリーとしても非常に良く出来ている。前半部分、私が勘違いして読み進めていた部分から後半の非常にきっちりとした展開。謎解きも非常に面白い。

だが個人的には、自分はどうやって「サーカスの演し物」に向きあえば良いのだろうか、と考える一作になった。

東京で消耗する理由-まだ東京で消耗してるの?(イケダハヤト)

 

 

私はイケハヤ氏と逆に地方から東京に出てきたクチだ。その観点で読むと新しい考えが生まれるかと思って本書を手に取った。
イケハヤ氏は東京はもう終わっていると冒頭で語る。
家賃の高さ、移動時間、無意味な出会い、食の貧しさ、行列、順番待ち、子育てのしにくさなどなど。
半分くらいは東京と「組織で働くこと」を混同して書いているきらいがある。
社畜に逃げるのは別に東京に限ったことではないだろう。
コミュニケーションのためのコミュニケーションは東京であろうとなかろうと発生するはずだ。
また田舎の方が稼ぎやすいと語る。現にイケハヤ氏は収入が3倍になったそうだ。
この辺りは「何を仕事にするか」で変わってきそうだ。彼は地方には仕事がないというのは嘘だと語る。アルバイトならいくらでもあるし臨時職員もあると語る。問題はそこから先だ。そこから次の仕事へ...と彼は語るが、次の仕事って一体何なのだろう。農家?起業?ブロガー?正直にいうといまいちイメージが湧かないのだ。地方のスピード感や静かな環境はともかくそこから何をしていくというのだろうか。自分は保守的だからわからないのだと言われてしまいそうだが。
第3部では地方の素晴らしさについて語るが、私も地方出身なのでこの辺はなんとなくわかる。確かに田舎は思うほど不便ではないし、人の少なさは確かに住みやすさに通じる。でもクルマはないと大変に不便だというのは実感として反論しておきたい。
第4部のビジネス紹介は正直言わせてもらうと「取らぬ狸の皮算用」に見えて仕方なかった。あれもこれもとアイデアはお持ちのようだが、それは実現したら言って欲しいというのが本音だ。
この本で一番有用なのは第5部だ。本当に移住したいひとがいるなら第5部は役に立つと思える情報が入っている。また、「やりたくないことリスト」は移住しなくとも有用かもしれないと思った。
 
地方から東京に出てきた自分としては、それでも東京が好きだと思える。東京は人も多いし物価も高いし確かに住みにくいのだが、刺激が多いのだ。大きな本屋を眺めたり、小さい映画館で観客一体となって映画を観たり。出会いが薄いとイケハヤ氏は書くが、私は東京でなければありえない出会いもしてきた。
東京は消耗に見合う刺激を与えてくれる街だ、と思いながら私は今日も東京で暮らしている。
 

ブログは何のために書かれるのか

ブログを大量更新というのが話題になっていた。

www.pojihiguma.com

なんだかずっともやもやしていたのだが、言いたいことは大体他の方のブログで書かれていた。

azanaerunawano5to4.hatenablog.com

fujipon.hatenablog.com

 

だから今更なのだが、ブログって何のために書くのだろうかということを多更新を見ていて考えた。

承認欲求のため?

有用な知識を世間に広めるため?

自己満足?

個人的な日記として?

じゃあお前はなんでブログ書いてるんだよ、と言われると。

文章の練習と承認欲求のために書いている。

何回も書いているが私は書くのが苦手だ。最近気づいたけれどビジネスメールとかマニュアルとか要件の整ったものは割とすんなり書けるのだが、自分のもやもやした意見や考えを文字起こしして的確に他人に伝えることが難しい。だから訓練のためにブログを書いている。

承認欲求はないと言ったら絶対嘘になる。アクセスされれば嬉しいしスター貰えば嬉しいしブクマされれば本当に嬉しい。

 

ブログは何のために書くのかという話に戻ると、それは別に人それぞれで良いと思う。

でも超多更新の何が自分にとって微妙だったかといえば、それは多更新が目的になってしまっているような気がしたからだ。

何かを伝えたい、という前にとにかく記事を更新したい、という感じを受けたからだと思う。あまりうまくいかなかったと思っておられるようだが、そういう捉え方をした方が多かったのではないか。

このブログは正直全然見に来るひとがいない。それでも書き続けるのは下手くそな言葉でも何かを伝えたいからだ。

伝えるのは怖い。間違って伝わる可能性もあるし、それが悪意につながる可能性だってある。

でもブログっていうのは何かを伝えないと意味があんまりないと思うのだ。

そしてその意味の文脈は人それぞれで、更新の頻度もそこについてくるのではないのだろうか。

今日はなぜか2記事も更新しているが、多分またそんなに書かなくなると思う。

書きたい時に書きたいことを書けば良いのだ。多分。

 

人工知能は人間を超えるか(松尾豊)

Kindleのセールで安かったから買った本。

 

人工知能は人間を超えるか (角川EPUB選書)
 

 人工知能については正直よく知らない。ディープラーニングも言葉は知ってるがそれは一体何ぞやということはわからない。という状態で読んだ。

 

筆者によれば今の人工知能ブームは3度目の春だという。Webの広がり、ビックデータの時代の到来に伴う機械学習とディープラーニングのビッグウェーブ。

この本ではそもそも人工知能とは何ぞや(まだ人工知能はできていないそうだ)、というところから過去の2度のブームの振り返り、そして今回のブーム(特にディープラーニング)について解説している。

正直言うともう2,3回読まないと多分人にディープラーニングについて説明できるようにはならないだろう。だが読んでも全然全くわかりません、ということはなく、わかりやすい例えを使って説明している。多分自分の理解力の問題だ。きっと。もっとディープラーニングについて知りたくなったので、他の書籍も読んでみたい。

ディープラーニングの元になる考えは皆持っていたものの、そこからの飛躍が必要だった、というところが非常に興味深かった。

そして肝心のタイトル、「人工知能は人間を超えるか」。」シンギュラリティという言葉もはじめて聞いた。

シンギュラリティというのは、人工知能が自分の能力を超える人工知能を自ら生み出せるようになる時点を指す。

 筆者は現時点においてこれを夢物語と語る。それは仮に知能を作ることができても生命をつくることが難しいからだという。この辺の説明も例えが効いていてわかりやすい。

とは言え確実に人工知能は私達の生活を変えてゆく。終章では人工知能によって引き起こされる社会的、産業的変化について述べている。よく出てくる「将来的になくなる職業・残る職業」も出てくる。人工知能は人間を超えなくても、間違いなく私達の生活を変えてゆくのだ。自分の将来についても考えさせられる。

普段あまり触れない分野ではあるが興味深かった1冊。

Apple Musicが素敵

何を今更と言われそうだけれど、Apple Musicに登録した。

主に3つの理由から。

今まで気になってたけど聴いてなかった曲を聴く

昔はCDショップに通って試聴するのが好きだった。

そこに新たな発見とかあったりして。

最近はネットで気になるアーティストなんかを見つけていたのだが、CDを買うまではちょっと…となってたりしていた。

そういうアーティストの音楽を制限なく聴けるのは結構嬉しいものがある。

自分は無知なので、皆知ってるよ!って言われるかもしれないけれど。

すごく素直な声なんだけど技量があって、聴いててはっとなることが多かった。

ちなみにこのアルバム、2/3発売。すぐ聴ける。

メロディーズ

メロディーズ

  • 蓮沼執太
  • J-Pop
  • ¥2000

 なごむメロディー。ほっとして聴ける。

 これも2/3発売。

Smart Citizen

Smart Citizen

  • 吉田ヨウヘイgroup
  • ロック
  • ¥1800

 ずっと気になっていたアーティスト。

音が楽しい。朴訥なボーカルも合わさった何回でも聴いていい感じの1枚。

 

以前良く聴いていたけどどっかにやってしまった音楽を聴く

迂闊としか言いようがないが自分にはこれがよくある。恥ずかしい。

Apple Musicで発掘したら出てきた。嬉しい。

 

Imaginations

Imaginations

 これすごいよく聴いたんですよ昔。超お気に入りの1枚なのにどこかにやってしまった。ひどい自分。

 

クラシックがたくさん聴ける

これが一番大きいかもしれない。

以前はNaxos Music Libraryに登録して聴いていたんだけれど、月額1,850円(税別)。

あとオフライン再生ができないのが痛かった。

Apple Musicでは聴きたいクラシックが大体揃う。前述のNaxosも大体入ってる。

同じ曲を違う奏者、違う指揮者で聴きたいってときにも色々なのが聴ける。

ちなみに今Brahmsのチェロ・ソナタを幾つか聴き比べようとしているところ。

 

Brahms: The Cello Sonatas

Brahms: The Cello Sonatas

 

Brahms: Cello Sonatas; Songs without Words

Brahms: Cello Sonatas; Songs without Words

  • ミッシャ・マイスキー & パーヴェル・ギリロフ
  • クラシック
  • ¥1600

 

Brahms, Chopin & Franck: Cello Sonatas

Brahms, Chopin & Franck: Cello Sonatas

 これ全部Apple Musicで聴ける。ありがたやありがたや。

 

おまけ:最初接続できなかった

Apple Musicに登録していざ聴こうと思ったら「この項目は再生できません」と言われて固まった。私の980円…。

ググったら下記で解決した。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

 

あの日(小保方晴子)

 今話題となっている本を読んだ。

あの日

あの日

 

 

あの日

あの日

 

 

この本を読んで一連の騒動が一層わからなくなった。
 
この本は小保方晴子氏から見た「真相」なのだろう。
それが真実なのかそうでないのかは私には判断しようがない。そんな内容なのだ。
 
前半で語られるのは彼女の充実した研究生活だ。
専門的なことはよくわからないが彼女がよく勉強し、自分を高めていたことはわかる。彼女の言を信じるならば。
後半はSTAP騒動に関する話で、若山照彦氏への不信感、マスコミのバッシングへの恐怖と絶望が赤裸々に綴られている。若山照彦氏の責任は報道され発表されている以上に重いのかもしれない。彼女の言を信じるならば。
そう、この本はなんとなく「彼女の言を信じるならば」というのがつけたくなってしまうのだ。
私が天邪鬼なだけかもしれないが、彼女の文章は文学的修辞が若干多く、無意識かもしれないが色々飾りたいのかな、と思えてくる。
また自分が犯したミスに関しては「猛省する」だけで説明が不足している印象が否めない。
ただ彼女が世論のバッシングとマスコミの殺到に疲弊したのは事実なのだろう。その辺りは根深い問題だと思った。
本の中ではNHK毎日新聞が名指しされている。毎日新聞の須田桃子記者は「捏造の科学者」で大宅賞を受賞しており、私も読んでその内容に納得していただけに、その取材手法はどのようなものであったかが気になった。
捏造の科学者 STAP細胞事件

捏造の科学者 STAP細胞事件

 

 

捏造の科学者 STAP細胞事件 (文春e-book)

捏造の科学者 STAP細胞事件 (文春e-book)

 

 

 
結局このような本が出ても真相がどこにあるのか全くわからなくなるだけのような気がする。
客観的な検証がなされることはあるのだろうか。